19世紀のなかば 《宗教・農村・女性》

華南から起こった農民革命、太平天国は、中国ではむろんのこと世界史上でもかつて例のなかった女性解放政策を打ち出した。

纏足は禁止され、首都防衛工作に女性が動員された。

また厳重な一夫一婦制が主張され、中国で初めての登記婚が採用された。売春は当然、厳しい取締りの対象になった。

このような政策は、太平天国の主力となった華南の貧しい農民社会における男女関係の一定の反映といってよい。

一方、ヨーロッパの新思想の流入とともに、知識人を中心に、政治改革の運動(変法自強運動)が起こり、このなかでも、纏足の廃止や女子教育の振興が提唱された。

譚嗣同(たんしどう)『仁学(じんがく)』(1896ごろ執筆)や康有為(こうゆうい)『大同書』などはかなり急進的な女性解放を主張している。

20世紀初頭、清(しん)朝打倒の革命運動が起こると、女性のなかにも秋瑾(しゅうきん/チウチン)のような革命家が現れた。

彼女は1907年、革命に殉じたが、これに刺激されて辛亥(しんがい)革命(1911)の際には、上海(シャンハイ)や広東(カントン)の女性たちが女性の軍隊をさえ組織している。

革命後、女性たちは、臨時憲法における性差別廃止の明記と女性参政権獲得を目ざして激しい運動を展開するが、失敗に終わった。

しかしこの革命によって2000年来の専制王朝が打倒され、それを支えてきた儒教イデオロギーを批判する条件ができたことの意義は大きかった。五・四運動(1919)と併行して起こった思想革命のなかでは、家族制度に対する鋭い批判が展開され、そのなかで女性解放が大きなテーマとなったからである。

しかし、その後の女性解放運動はヨーロッパ諸国とはやや異なった過程をとった。

半封建・半植民地中国では、性による抑圧以前に、民族的・階級的抑圧が強く存在し、それとの闘争なしには、男女を問わず人間そのものの解放がありえなかった。

このため多くの女性たちが革命運動に加わり、地主の権力と対決していくなかで、封建的な農村社会の状況を変革し、あわせて女性自身の解放をも実現していくことになった。
update:2009年08月23日